2012年10月14日

『出たらめの記』における雙六の紹介

 おしおし!
 またしても素敵な資料を見つけてしまった。

 『出たらめの記』は1915年に書かれた本。
 そこに雙六が4ページにわたって紹介されている。


 近代デジタルライブラリー:出たらめの記(雙六の博来)


 特筆すべきは筆者の親族の体験談。

 此の雙六を知らぬ人多しと見え、予の親族がある湯治場に此具を持行き、勝敗を争い、大喝して賽の目を呼びたる所に、巡査が賭博とみとめて飛び込み、勾留せむとし笑話あり。此れ二十余年前のことなり。

 意訳:この雙六を知らない人が多いとみえ、私の親族がある湯治場にこの道具を持って行って勝負し、大声でサイコロの目を叫んでいた所、巡査が賭博だと思って飛び込んできて交流したという笑い話があった。二十数年前のことである。



 1915年から20数年前なので、1890年台、あるいは1880年台の話。
 つまり、明治中頃に盤双六プレイヤーがいたという証拠なのだ!

 ただし巡査はどんな遊び方か知らなかったようだし、この文章が書かれた当時の状況も、「今の若き人々たるや盤雙六の何物なるやを知らぬ人多し」とあるので、盤双六は一般的ではない遊びだったのだろう。(さらに言うなら、若い人が知らないだけで、若くない人は結構知っていたのだ!)


 もっとも現在でもバックギャモンのことを知らない人が多い。
 そこから考えると、盤双六が実際にどれくらいの認知度だったのか不明。


 例えば、現在でも「最近は麻雀知らない人が多いよね」という言葉を聞くことがあるが、『近代麻雀誌』など、専用のマンガ誌が売られているほど遊ばれているゲームだったりするし。
 コントラクトブリッジは7000人も協会員がいるしブリッジセンターがあるし東大でも単位が取れる講義が行われているようだけど、一般にはほとんど知られていないゲームだったりするし。
 逆に中将棋は日本将棋連盟主催で名人戦が行われるなど頑張られているけど、もしかすると1000人もプレイヤーがいない超マイナーな伝統ゲームだったりするし。
 とにかく色々なケースが考えられる。(ちなみに、どの競技もけなしている意図はありません。だって、私、麻雀もコントラクトブリッジも中将棋も好きですし)


 ともあれ!
 明治中頃も遊ばれていたのは確実。
 明治末期には名手がいるほど流行していたようだし、明治時代も一部で結構遊ばれていたんじゃなかろうか。


 おおっ……。
 このブログ、盤双六史の解明に、めっちゃ貢献してるんじゃね?



 
posted by 六郎 at 11:40 | Comment(2) | 遊戯史まわりの考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当にそう思いますよ!
私の知らなかった事実が次々とあぶり出されます。
Posted by 景山充人 at 2012年10月22日 11:01
景山充人さま
 ありがとうございます!
 景山さんにコメントをいただけるなんて思ってもみませんでした。

 調査法は単純で、双六、雙六、盤双六、バックギャモンなんかで検索して、出てくる資料や書籍を全部読んだだけですねー。
 そうしたら、その中に面白いものがあったという力技に近いです。
Posted by 管理人 at 2012年10月22日 18:51
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