2017年04月02日

盤双六は一時消滅したの?

 結論からいうと、してないと思います。
 プレイ人口が少なくなっていたのは確かでしょうが、それだけです。
 
 
 その証拠となるものを、最小限挙げると次のようになります。
 
 
 1)1932年、京都の好事家杉浦丘園が宝鏡寺にて大規模な双六会を行う。(『雲泉荘山誌 別冊 すごろく(未定稿)』より。この時点でも伝統ゲーム扱いで、プレイヤーは少なくなっていたようだがちゃんといたらしい)
 2)1961年、『一月の京都 古代遊戯雙六の話』刊行。この著者は1932年の双六会を見てきており、盤双六の保存活動を行っている。
 
 
 少なくとも、1932年の『雲泉荘山誌 別冊 すごろく(未定稿)』のときにはプレイヤーが生きていました。
 つまり、この時点で滅んではいないわけです。
 
 また、『一月の京都 古代遊戯雙六の話』の著者は1932年の双六会に参加した上で、保存活動を行っており、1969年まで生きておられました。
 となると、1969年までは保存活動をされているプレイヤーが存命だったことになります。
 
 
 では、田中緑紅さんがなくなったとき、盤双六は消滅したのでしょうか?
 そんなわけ無いですよね。
 その頃にはいろいろな雑誌で古代遊戯として盤双六が紹介されていたり、『大和文化研究(第三巻第五号)』で盤双六が特集されていたり、複数の研究者が保存活動を行っていたり、そもそも宝鏡寺で遊ばれ続けていたりしました。
 
 つまり、過去から現在に至るまで、盤双六が消滅していた時期はありません。
 プレイヤーが少なくなっていたかもしれませんが、一部プレイヤーと研究者、保存に努力する方々のお陰でずっとつながっていたのです。
 
 
 wikiやその他の雑学で紹介されているような、盤双六は○○頃には消滅していた、との説には反対を唱えたいと思います。ほそぼそとかもしれませんが、プレイヤーはいました。(ほとんど遊ばれていない=消滅ではありません。人吉のうんすんかるたは現代にうんすんかるたの遊び方を伝えてくれました)
 
 
 ちなみに衰退した理由ですが、他に面白いもの、興味のあるものがどんどんできた……からだと思います。
 同じ遊戯でいうなら、かるたや花札。
 趣味ということなら、平和な江戸時代に生まれた数々の趣味。
 
 近年だとスマホの普及が趣味の時間にも侵食したように、江戸時代に生まれたいろいろな娯楽は、プレイ時間が長い盤双六の広がりを抑えてしまったのではないでしょうか。同時期に中将棋も衰退しているのですが、時間がかかり、かつ二人しか遊べないゲームよりも、花札など短い時間で多人数で遊べるゲームのほうがシェアを拡大するのは自然でしょうし。(ちなみに、海外でもバックギャモンは衰退していました。プレイングカードやドミノに押されてシェアが小さくなったと思われます。復活するのはダブリングキューブが生まれてから。プレイ時間が短くなり、遊びやすくなったという側面があると思います。……あと、賭け金が一気に高くなる刺激性ですね……)
 
 
 より面白いものがあれば、そちらに時間が流れるのは今も同じだと思います。
 
 
posted by 六郎 at 00:00 | Comment(0) | 遊戯史まわりの考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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