2012年11月10日

正倉院×双六

 正倉院展に行って来たぞ!
 今回の目玉は瑠璃杯だったけれど、個人的にはやっぱり双六盤と双六の石。


 というわけで、図録の写真を少々。


正倉院a.JPG

正倉院d.JPG

 正倉院の双六盤。
 現存する日本最古の双六盤にして、日本最古のボードゲーム。

 名称は「木画紫檀双六局」。

 凄まじく装飾が綺麗。
 花や鳥が描かれている。


正倉院i.JPG

 双六盤を入れていた箱。
 名称は「漆縁きょじょ双六局龕」。(きょじょの漢字が出ない……)


正倉院h.JPG

 双六の駒。
 それぞれ「黄瑠璃双六子」、「藍瑠璃双六子」、「浅緑瑠璃双六子」、「緑瑠璃双六子」。

 色ガラス製の双六石。
 藍瑠璃の一枚以外は十五枚ずつ納められているらしい。
 まあ、バックギャモンなので当然なんだけど。


正倉院g.JPG

 双六のサイコロ。
 名称は「双六頭」。

 これで初めて知ったんだけど、サイコロを数える時は、一隻、二隻、って数えるのね。
 一隻とは、「一対の物の片方」だそうで、双六はサイコロが二個が基本だったってことかいな。

 雙六の「雙」の漢字と何か関係があるのかな?


 形が悪いのは未完成だという説と、あえて形を悪くして、サイコロの目に偏りを持たせることで娯楽性を高めたという説があるみたい。


 
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2012年05月31日

東京国立博物館の盤雙六

双六盤2.jpg

双六盤.jpg

 東京国立博物館のHPの画像検索で、盤双六を見ることができる。

 一つは、竹菱葵紋散蒔絵雙六盤
 もう一つは、模造_紫檀木画双六局

 両方共綺麗な双六盤。
 竹菱葵紋散蒔絵雙六盤は、駒にも金の紋様が入っている豪華なセット。
 模造_紫檀木画双六局は、正倉院に収められている雙六盤の模造品。

 画像提供:東京国立博物館


  
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2012年04月09日

江戸の遊戯

 大江戸カルチャーブックス『江戸の遊戯』には盤双六の写真や絵画がたくさん掲載されている。その他遊戯具の物凄く珍しい写真も多いので、伝統ゲームに興味ある方にお薦め。(個人的には花札やカルタのあたりが見たことも無いものばかりで凄く好み)

江戸の遊戯01.JPG

江戸の遊戯02.JPG
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2012年03月31日

1969年発行の大日本百科事典における「双六」

百科事典双六02.jpg

 百科事典にも双六の項目がある。(当たり前か)

 でも、面白いのはここから。
 1969年発行、つまり日本のバックギャモン研究が進んでおらず、しかもバックギャモン協会が設立される以前ならどんなかんじなのだろう。

 勝負開始時の石立は図のようで、相対した二人がそれぞれ賽を振り、目の多いほうから先に行う。勝負は筒にいれた賽を盤の上に振りだし、二個の賽の目の数により、石を左から右へ進め、端に達したら別の右側移して左へ進め、全部の石を中央の五つ星の左にいれようとして、黒白いずれか早い方を勝ちとする。

 この頃はサイコロを使った不思議な伝統ゲームという扱いだったんだろう。
 間違った『波羅塞戯』起源説を採用しており、インド発祥がヨーロッパにも伝わったという説明がされている。
 あ、でも、六の目が出れば負けることはないから双六、という説は初めて読んだ。『和漢三才図会』に書いてあるらしい。

 ヨーロッパに伝わってバックガンモン backgammonと呼ばれ、中国・日本では双六あるいは双陸とよんだが、双六の文字は二個の賽の双方に六の目が出れば負けることはないところからといわれている(『和漢三才図会』)

 バックガンモン!
 この時期はまだ、名称が統一されていなかったらしい。

百科事典双六01.jpg
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2012年03月12日

森鴎外の盤双六

森鴎外の双六盤.jpg

 『文士の逸品』には文豪が所有していたもののが、写真付きで紹介されている。
 そこに、森鴎外が使っていた盤双六が掲載されている。

 母親と妻の不和を和らげたいとの思いから購入したようだ。
 この双六盤は鴎外記念本郷図書館に所蔵されているらしい。


 追記。
 鴎外日記には、明治42年(1909年)4月3日に、「妻にすすめて母上と双六をなさしむ。」とあるらしい。「双六が流行していて名手までいる(意訳)」と書いてある『仙湖遺稿集』は1910年発行なので、双六はその時代、東京で普通に買えたのだろう。
 また、鴎外が自分で遊ばず、買い与えたということは、それくらい周りでは流行っていた(プレゼントとして良い物と受け止められるほどステータスが高かった)可能性がある。『仙湖遺稿集』で「流行」と記されていたのは著者の誤解ではなく、本当のブームだったの可能性が高い。

 
posted by 六郎 at 21:50 | Comment(0) | 写真や画像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする